ピーコック・グリーン


ピーコック・グリーンは1600年ごろに起源をもつ「ピーコック」という色からうまれた色名だと考えられ、1880年ごろに出現している。古くからの歴史をもつ色だ。本来、ピーコックとは青を表す色名で、孔雀の羽の色から見つけられたようだ。
インターネットとは便利なもので、「孔雀」と検索窓にいれて画像検索してみれば、孔雀の羽が一面に出てくる。青とも緑とも言えないような中間色。
孔雀といえば「全知全能の神」を象徴することで知られているが、鳥のように飛躍でき、空を往来できる生き物は、私たち人間にとったら「自由」の象徴でもある。羽を広げた孔雀の姿には、豪華絢爛で扇のような、完全さや美しさ、高貴さなども感じる。

このようなピーコックグリーンに惹かれているとき、人は内界ではどのような状態にあるのだろうか。緑よりの青。孔雀の象徴するものが直接的にその人の心の解釈につながるわけではまったくない。心とは重層性を持っているから、そのように考えることも1つの層としてはあるんだろうけれど、大切なことは、この色をみてその人がどんなことをイメージするかという「個」をしっかり通して考え、そののち集合的なこととも照らし合わせて総合的に捉えていくことだと思う。

私にはこのピーコックグリーンが、途方もない道のりに思えてきた。
やってもやっても追いつけないような、繰り返し繰り返しやってもどこか馴染んでしまうような。ムラを許さないような。1つの花が咲くまでに見通しの立たない道のりだ。
おおらかだろうな。ざっくりしているんだろうな。
私には足りない面かもしれない。

じっと見ていると、内界でもう1つの色彩が生まれてくる。赤の中でも少し黄よりのはっきりした主張のある赤だ。

ふと横をみると、毎日持ち歩く水筒が、まさかの。
そばにいたんやね。