ひねくれ者日記

「あるがままの自分」で。
使いづらい言葉だ。
私はあるがままなど、あまり知りたくない。
あるがままの私など、知れずに生きてこれている。
存在するものがなかば光で、なかば闇であることを知れば知るほど、
闇は闇のまま、そうっとしておきたいと思う気持ちがある。
秘密のベールがあるのなら、それをはがすのではなく、秘密のベールはそのままでいい。
向こう側を想像していることの方が楽しくないか。
下手に知っても、きっと扱いきれない。
見えるところに澱のように溜めてしまうだけかもしれない。

底なしのドロドロとした得体の知れないものが、時折顔を出す。
そんなものが自分の中にあるんだと認識するだけで、十分複雑な気持ちだ。
音もなく静かに、奥底で動いているものがある。
それだけで十分だし、こんな脳みそでそんなものがとらえられるとも思わない。
どこまでいっても、あるがままってわからないんじゃないだろうか。
わからないものであってほしい。

ただ、生命の可能性については知りたいと思った。
それが色を追いかけていると知れるから、楽しい。
生命という不可思議なもののもつ可能性が、
自然の展開し得る現象が、
横暴だったりしたそばから、ゆりかごを揺らすように優しくなったり、
癖や周期や意外性が、知れたと思ったところからもまた知らなければならないことが見つかっていく。
環境に変えられるだけではなく、自分をなくさないような強さもある。
環境に適応するとは、環境に染まることではなかった。
私はそのミクロであるととらえてみるだけで、なんだろう、このみなぎる力は。
わくわくする気持ちは。

とそんなことを今日は考えて
ひねくれていた。