2018年6月11日月曜日

思うこと

スタッフMです。思うこと綴ります。




色彩環講座の1クールが次回の「赤の本質への接近」で終わる。
終われば始まるもので7月になればまた「緑」が生え、順に色彩が巡っていく。
7月からの緑の始まりには早くも何名かが受講開始を控えているが、
やはり始まりに「緑」はいいと思う。
何がいいかって、自然な流れやから。
植物の芽生えから始まるような。
入りやすいし、学びはじめやすい。
でも、ここで学びたいというマニアックな熱意のある方々に、
こんなふわふわした理由は要らないのかもしれない。

それとは逆に先日開かれた6/9の「色彩調和と全体性」の講義に
始まりを迎えた方々がいたが、これはなかなかの曲者の道であると思う。
よくこの授業に来たな、みたいな。
いきなり全体を覗かせられるという、なんとも使命に満ちた道であると思う。
でもここですごいなと思うのが、授業の内容がわからないというのではなく、
だいたい色彩に惹かれる人は感覚でわかってしまうところがあり、
言葉よりも心が先にいってしまっているな、とつくづく思う。
仕事にするには言葉が追いつかなきゃならないから、大変な道がある。
彼女たちは今から1つ1つの色彩の特性に降りていく。

こうやって色彩環講座のように
円環を成して、どこからでも就学できるスタイルを持っていると、
生徒が学び始めを選んだ授業はその人の招く偶然であるのだけれど、
その偶然を我が物としていくようなところを見受ける。
「あそこから入ったのは、こういうことだったのかもー!」と
後になって清々しい表情で語っていたりする。当時は苦しい表情してたくせに。
あー、この人はきっと生きてく中で起こる辛い出来事とかも1つ1つ
きっと後になってこんな清々しい顔で自分の一部としてしまえるんだろうなー
とか思ったりする。

そうやって受け止めるってことは、悪くないことなんだろうなと思う。
悲しいことほど人は意味を注いで生きていく力がいるんだと思う。
他でもない私の物語を、生きていかなければならないわけだから。

意味なんかないわい、という自分も
どかんっとあぐらをかいて座っているけれど。

どうしようもない文でしたが、また。