「現実の葉が、次第に完成されて萼や花びらに変化していく」
そんなことをゲーテから教えてもらってから、というもの、
私の葉や花は、自分の生きることと重なった。
そんな大それたことを思いながら私が作った花は、
同僚から「なんかいつも作るものがこじんまりしているね」とか言われ、
結果的にそれが一番印象に残っている。笑。
というかそれが一番的を得た言葉なのだな。このやろ。
ええ。こじんまりしてますよ。
いろんな意味で。
私は蕾を見るのが花を見ることよりおそらく好きで。
蕾を見ているとその瑞々しい感じや、閉じている感じが落ち着くのかもしれない。
蛇の頭のような形をしていたり、蕾にも特に先端にはいろんな特徴がある。
だからと言って蕾フェチな私は閉じた人間というわけではない。
開く時もある。
この花も開く時はブワ〜っ「開いた〜!いえ〜い!」という感じで開くわけではなくて
こそ〜っと開く。「開いたよっ」みたいな。「いや、ここでいいよ」みたいな。
この作った状態は、そう、開いた時。
なんのために「こそ〜っ」と開くのだろう?
隠れて静かに開くみたいなイメージ。周りに知られたくないのか?それはわからない。
1つ思うのは、開きすぎると枯れてしまうという花のイメージへの不安である。
咲き誇って、枯れていくのが花。
枯れることを怖がってめいいっぱい咲けないのかもしれない。
そうやってこの花は咲いたり蕾んだりを繰り返している。
枯れたら大地に吸収され、また新芽から新しい旅が始まるというのは、
頭ではわかる。
でもここまでくるのはあまりに大変なことだったんだよ。
やっぱり同僚たちから言われた「こじんまりしている」が
今の私の現状であるしそれは耳が痛いけど、
これからの「のびしろ」なのか。と少ないポジティブ思考をONにする。
大地と繋がりながら、芽吹いたものを上へ上へと伸ばしていく。
こんな風に母なるものと鼻水を垂らして繋がりながら、
ただただ勝手に自然にまかせて伸びた日はいつの頃だっただろう。
養分を節から節へと届けながら、
蔓延るように光を受け止める葉を広げながら。
この花が唯一の花となり、種をもつために
これからどんな出来事があるのだろうか。
私の中にあるまだこじんまりしたこの植物とは、
腰を据えて付き合っていこうと思う。
なぜなら、この花は頑張っているからだ。