色彩心理学療法士という仕事


イメージというものは、誰にも左右される必要のないものだ。
どんなことをイメージしても
黙っていれば自分で抱きしめることができる。
と思っていた。

でも、

本当に、抱きしめることができているだろうか。
私は私自身のイメージを、大切に活かせているのだろうか。
この仕事をしていると、イメージを外在化しながら、
ほとんど泣きながら作業をする人をみる。
”私だけのイメージ”を説明しながら、
涙をこらえられなくなって、泣きながら話をする人が結構多くいる。
私自身も、こないだ月を描いて登場してきた一つ目の妖怪のイメージに涙してしまった。
そこそこ大切なことを打ち明けている気分になって、唇が震えた。
泣いている自分が感傷的で、嫌にもなるからすぐ泣き止んだけど。
それでも訴えかけてくるイメージは、手を休めることなく、
泣いたあとの妙な心の軽さのようなものを連れてきた。

人それぞれの地下室にはどんなものが眠っているだろう。
太陽の下で明るみになることもなく、
じっとりした暗〜いところで、密かにしているのが常なものたち。
時折、「暴れたろか」とか思っているのかもしれない。

ふわ〜っとどこからか香った匂いに、おばあちゃんの家のふるい匂いがして、
開かずの間のことや、黒い艶のあるばあちゃんの髪質や、よくくれた500円玉を思い出したり。
ある日食べたフライドポテトに、昔市民プールみたいなところの
プールサイドで食べてた塩素の匂いの絡んだフライドポテトと、
そこにいたのは誰だったかが思い出せないことが思い出せたり。
わけもわからず、「生理的に無理な人」と判断してみたり。
心は厄介だ。それでいいんだと思う。
地下室にいるものたちが手をつないでいるわけだし。

自分で自分を抱きしめることができる人は、こんなこと必要ないんだと思う。
でも、抱きしめることの本当の作業は、
エネルギーがいることがわかる。
時間をかけてでも見つめていこうとする覚悟がいる。

これが人を元気にする仕事、であれば嬉しい。
でもそれはいつまでたってもそうなのかどうなのか、葛藤の中にある。
「これが正しい」と心から思った瞬間があれば、
私はこの仕事を辞めるべきだと、なんとなく思っている。

資格取得にむけての養成コースが来年から始まる。
数名の志願者がいる。
彼らにとともに、葛藤しながらゆこうと思う。
自分のいびつさを抱え、あたためながら。