2018年12月27日木曜日

今年もあと4日...


どんな1年だっただろうか...。

腐れ縁の友人たちと年末になると集い、
今年1年と来年の1年を漢字一字に込める、
ということをして傷を舐め合い抱負を語り合っているが、
今年はまだ集まる見込みが立たない。
この年齢になると、家族がどうだ、子どもがどうだ、と
予定が立てにくくなり、集まるときは発作のようにいつも唐突で
「きょういける?」「いける」の5文字と3文字の幼いやりとりで決まる。
もうポケベルで通信機器は良かったのに。
でもこんな会話、古き良き時代の文通者たちが見たらほんま泣くでな。

自分のことを考える時間は、日常を過ごす中でそう守られるものではない。
普通に過ごしていても、気づけば何かに侵されているように感じてしまう。
テレビをつければ情報が溢れて、携帯を見ればニュースがまいこんできて、
あらゆるところに時間泥棒がいるように感じる。
あらゆるところに美味しいものが旗を振っていて胃袋泥棒も、お金泥棒もいるように感じる。
能動的に自分を生きなければならないな、
呑み込まれることのない自分を形成してゆきたいな、と最近感じている。

この日本色彩心理学研究所に集う人や学びに来る人たちには、それぞれの物語がある。
その物語を見つめにここへやってくるし、その物語を生かしにやってくる。
でも、何が彼らをここへと送り込んでくるか、と考えると不思議な気分になる。
自我意識とかではないだろうな。じゃあ、きっと「たましい」とかなんだろうな。
自分に「たましい」があると仮定したとき、自分の存在が豊かになるように感じられる。

自分を形成することは、自我意識だけがやれることではない。
「たましい」といわれるものと共同してやることなのだろう。
上に上に伸びていく一方で、下に這いつくばって根を広げる。
これらは同時作業で行われることなのだろうな。

どんな1年だっただろうか...
みなさんは、どんな1年でしたか。