色水の底力


こんな色水が作れてしまうのは、その方の心が、自立へ、独自性へ、と向かう強い志と覚悟ゆえですか。まるで花だし、宇宙のようだし。

今の私には作れない。かつての私なら作れただろうか。いや、いつかの私なら作れるだろうか。今の私はどちらかというと茶色のような水を、泥のような炭のような色を好んで作れるときだろう。でも、その良さも知っているし、もっと知りたい。




受講してくださっている方の作る色水は全て自分に返ってくるものとなる。
石のように頑なにそれを突っぱねなければならない時もあるけれど、
大抵の場合それらを一旦、自分の中へと招いてみる。
これも仕事。
1つずつ、時間がかかる。


色水には、底知れぬ力がある。

かの水木しげるさんもゲーテ作品を愛読されていて感銘を受けてらっしゃったが、私も同じページをめくる。
どんな現象にも普遍が宿るということ。
妖怪にも普遍的な様子が透けて見えてこそ、妖怪が描けるように
色にも普遍的な様子が透けて見えてこそ、色を語れるようでありたい。

その日作られたテーマごとの色水を分けて並べてみた。
講師や療法士が群がる。これは面白い、何かあるね。って。
早く言葉になるものは大抵大したことはない。
無理やり言葉にしようとしたものは大抵ひねくれてしまっている。

神話の本を読みながら、
この色水を大切にしたいところだ。