色彩心理学療法士という仕事

大学での後期授業が終わった。
今から彼らの成績づけをする。



絵の具を教材として買ってもらうことから始まり、
その教材を使うぞ!という意気込みをもって、
イメージを外在化しながら自己を探求をする傍ら、
同時進行で色彩の特性や、心との関係性を学んで行き
自分自身が自然の一部であるということを成長の軸として感じていく。

学生は、単位とるの楽だろうと思ってここに来ることもあるだろうと思う。
でも、夢中になって色とともに創ってしまう時間が起こる。
作りたいイメージができないことのギャップや、達成感、
形作りたい欲求が自分の内から沸き立っていることを知って行く。
作り終えたあと、自分の作品と対話した際に感じるモヤモヤしたものが起こる。
そこに想像力や自分全部を使って対象と関わることの方法が
染み込んで行くことを願う私がいる。
悲しいことほど物語は深く、根強く語られて行く。
他のクラスメイトたちの作品や語ることの面白さ、
会話してみることが素晴らしいと感じたり、
色のことを考えながら、自分のことを見つけたり、
結局学生たちが自分で、関係性を持つことに少しずつ積極的になりながら、
社会人に向かって形作っていく。
赤味は帯びるべきときに、きっとゆっくり帯びて行くことを私が知らされる。

この講座が、楽しさとしんどさが背中合わせになっていることを
学生も私もともに実感していった時間だった。
学生たちが得たものは、自分の感覚を通して得たものだから一生物だと思っている。
私が彼らを通して得たものも、学ばせてもらったことも。
苦しかったし楽しかった。

最後に、木のことを思い思いに語ってくれたひとりひとりのことを、
しばらく忘れられない気がしている。
それはその木が、学生たちひとりひとりのことでもあるけれど、
私自身でもあると感じたからだろうか。

時間は限られている。
でも、祈ったりする気持ちは限りないものだろうと思う。
自分の心の中にある原生林のような自然を
良くも悪くもなるけれど、生かし続けていこうと、彼らと出会ってまた思った。