自分には能力がないから...
自分には能力がないから、
なんどもなんども繰り返して分かることが必要になる。
すぐに感銘を受けたものを自分のものにできるような人もいると思う。
羨ましい。
でも自分はできない。背伸びしてもできなかった。
満ちるまで抱え持って育む様子は、まるで満ちるのを待つ月のようで、
自分の体を差し出して生み出すようだ。
重たいし、遅い。活発には動けない。
でも、そんな自分を認めたいと思う。
そんな自分を諦めたいと思う。
受け止めたいと思う。
それをするために、この色の心理学をやっているのかもしれない。
自分が自分のまま輝いていくとはどのようなことか、
私が「自然である」ということはどういうことか。
間違えなく、自分は青い。
間違えなく 自分は緑だ。
間違えなく、自分は橙にもなれたし
間違えなく、自分は黄でもありたい。
間違えなく、紫が中にいたり外にいたり、
間違えなく、赤へと向かったり遠ざかったりしている。
それをどう伝えれば、学ぼうとする人、必要な人に届くのだろう。
全部の色のふるまいが、自分の中にある。
その割合や動き方は、人によっても違うし、
その人の中でも時期によって違う
不登校の子どもたちは緑を多く使って絵を描いた。
注意力が散漫な子どもたちは、黄を使いたがった。
年齢を重ねた人たちは、褐色づいた色を上手に描ける。
これらのことは「自然」を知れば推察できる。
我々のうちにある自然はいつも色とともに巡っている。
自然とともに生きていくために
現代が抱える魂の課題に
取り組みたいと考えるセラピストたちに
色を扱う現場に立とうとする人たちに
どっしりした根っこを与えられるように
この場を継続させていきたいと願っている。