Kのつぶやき:現実をよりリアルに見る

スタッフのKです。

学校への入試、卒業、就職というその思い出を含めて、何かが変わってゆくような青い季節が始まっています。
当研究所でも色々なカリキュラムが動き始めていおり、その息吹を強く感じます。
こんな時にこそ何気ない確かなものがいとおしく感じられるのではないでしょうか。
表層の動きより深くありて寄り添っているものが、肝心なものとして。
このような季節にも、今を、そして取り巻くものを含めてよりリアルにみることが大切なのだと感じます。
今までのそこそこの経験からして、進むために振りかえってみて、そう感じるのです。
この機会に、我々にとって“学と教育のリアルさ”とは何であるかを当所の色彩心理学を土壌として考えてみました。

コラムとして興味のある方は続きをどうぞ。


現実をよりリアルに見る:色彩心理学を友として

今更ながら色彩と心理の関係を内界と外界との呼応を含めて考えてみたい。
皆がそのことに気付き、知識あるものが更に実感できるように。


ゲーテの説く次のテーゼが色彩と心理を紡ぐ原点となる
≪周辺が闇であるところから遠方の白い光を観ると黄色に光る≫
≪周囲が明るい光のあるところから闇の空をみると青色にみえる≫

前者は人が望みをみる人の心の動きを表している。人はその存在として闇の中では望みたる光を思わざるを得ない。
後者は人は光の中にある時には、こころは広大深遠な闇の宇宙を青くも限りあるように思うことになる。
もっと単純に、リアルに考えたい。
 -前者は、人は絶望とあきらめの中から、一縷の希望を見出すことになると、それは、自然なる人の眼は、全能の白の中から黄色という波長と感覚を持つ色彩を引き出し、自己の為の光として見据えることができる
 -後者は、人は安寧と困惑が棲む光の中から光の届かない暗黒を見ると、今の光とは反比例するように、青く果てしない暗闇を興味の対象とし思わざるえない。

人は存在として、この拡張(希望)と収縮(抑制)を呼吸などのようにこころでも日々繰り返していることになる。外界から色彩にも刺激され、また、心はその反映をもってして。 仏教では“色”は外界の物体、現象事象の全てを著わし、六大としては“識”こころを同じ内外の元素としている。

不思議であるのは、これら“黄色”と“青色”はゲーテの色彩環にあるように対極をなしていないこと。もう一つの原色である“赤”が黄、青の原色に動きを与え、自然界、地上に存在する全ての色彩のおよそ三分の二を占めるだろう変容を表出している(ここでは、黒、白等の無彩色を覆っているが)
こころでは黄から橙そして赤へ、青から紫へと、また、それらの逆の意識の変容をたどっている。こころの中ではその対極にある色彩を求めながら(呼び求め合う色彩)。これら色彩は、気持ち、性格をも相似している。

色彩環でも青と黄の間の混合色は、変化に対して緑が表わす落ち着き(混合定着)の心の動きをも著わしている。これらに加わる赤の変化は茶色、褐色などの大地への動きとなる。

実際にこれらの色彩を触って、表現することは自分のこころを、かたちとその動きに耳を傾けることになる。これが特殊な技法なくして自分のこころの話を聴いてみる機会を提供する。こうして自分で自分だけの物語リアルに知り、そして紡ぐことになる。

このことが色彩心理学の学びのリアルさの根拠でもある。

また、その実践として、色彩と人間との関係、即ち色彩と自己との関係を知るためにも、研究所ではワークの事例、分析などをできるだけ辿ることで、一人一人の物語にそのリアルな意味と畏敬を見出すように努めている。