色彩心理学を学ぶ /「私」の探求

色彩心理学という「私」の探求

現代人の「私」の硬直

現代は「私」の硬直化、もしくは「私」の空洞化が、問題になってきているのではないだろうか。色彩心理学や色彩心理学療法が必要な現場に立ち、まず思うことは、”他でもない「私」”ということに対する空虚感や、自信の無さである。

現場で太陽や木や月などを、絵の具やくれよんなどを使って描く中で、人は「私」の中にある光(意識)を育てていくのだろうなと感じることがよくある。
生まれたときは、圧倒的で呑み込むような途轍もない闇(無意識)が自分の中にあるだろうし、物心ついてからも学校や家庭に起こる闇がある。成人してからも社会に起こる闇がある。どんな暗闇にも負けない光になるように、生き抜ける自分の「光」を育ててゆくようなものだと感じる。

でも、ある時に気づくのだと思う。「光」側だけで生きていくことには豊かさに欠ける。大地と結びつく感覚を失い、源泉なるものから離れて、本来の「私」から遠くなっていく。

2つの世界をつなぐもの、色彩

色彩は、光と闇の出会ったところに展開される。我々人間は、光でも闇でもなく、その中間世界にある「くもり」の中に生きている。そこに展開されているものが、色彩である。両立しがたい2つの世界を繋いでくれるものが、色彩である。

「私」の中にある光が育っていくためには、「私」という存在全体が関わってくる。「私」の中にある闇なるもの、「私」の中にある翳りの強いものですら、「私」という光を豊かにするかもしれないものとなる。絵の具を使って光を描く時も、光を輝かせるために必要なことは、光自体を強めようとすることではなく、対極にある闇を深く、一層暗く、描くことである。そのような生き生きとした絵画体験は、「私」の中の「光」と「闇」ということと同質のものとして体験されていく。

外なる宇宙に必要なことはおそらく、「私」の内なる宇宙にとっても必要なことなのだと思う。私たちは大自然に包まれた、小自然だから。

絵画の時間や、芸術の時間、そして、色彩心理学療法がもつ創作と対話の時間が、なんのために、どのように人間の「私」の探求の時間、「私」を耕す時間として作用するかということを知ってもらいたい。そして「私」という中心をもった光が、深い闇とともにその人だけの「光」を育てていく、「光」の変容物語を、色彩が自然の語る言葉として、本質的に展開してくれていることを、知ってもらいたいと、考えている。