緑のようだ。

今この一瞬を、ただ重ねていくことしかできない時がある。
向上心とか、発展性とか、そんなことを問いたくない時がある。
やってくることに巻き込まれ、針を振られ、
その一歩一歩で、1日1日でめいいっぱいで、
目が回るように疲れてしまう。




ただ目の前にあることをやるしかない。
朝起きて、ご飯を食べて、仕事に行って、仕事をやって、帰ってきて、ご飯を食べて、寝る。
これが永遠に繰り返されると思うとぞっとするけど、
そんなことを考える余裕もなく、
考えることも怖くなって、
ただ、生きる。
1日を生きる。
ちょどそこに蝉が鳴いていたりもしたり。

そんな時期は深い緑や黄緑、緑を手にすることがある。
まるで緑の葉を懸命に食むことの青虫になったように、
緑に包まれて、なんとか落ち着くことになる。
緑のことが溜まりに溜まれば、
自然と赤へ向かっていくだろう。

色彩は、私の今を教えてくれる。
私は今緑なのだと教えてくれる。
それは「私」の下敷きを作る大事な時期なのだよ、と
これを飛んで赤にはなれないことを教えてくれる。