あいまいな話


うちの研究所は自活が基本。
作るチラシも、HPも自分たちでつくる。
だから大変。



大変な分だけ愛情が込められるやんか、というポジティブな人、と
もうちょっとさ、要領よくさ、気楽に頼めることは外部にたのもうよ、という人も。

量産できるものじゃない。心の仕事だから。
量産してしまうとこの場所はきっと活気がなくなる。
だからといって、質ばかり求めていると社会では根づきにくい。
葛藤の連続ですよ、ばあちゃん。そしてじいちゃん。

でも、たぶん、言えることはあって、
「無駄なことは大事だ」ということだと思う。
自分たちで作っていると、もうそれはいろんな時間がいる。
相談しながら頭が回らなくなって体操したり、
トラブルがあって調べるところから始まったり、
ぐるぐる回ってまた同じ話に戻っているような気分だったり、
せっかく作っているものを撤回されたり。

私たちは無駄を省く方法でいろんなことを手にできてきたかもしれないけれど、
やっぱり「無駄な時間」を過ごしてきた頃はそれぞれにあって。
ゴロゴロ会話して、ヤンキー座りしてただ時間を浪費したような旧友たちと
ずっと今もわかちあえる何かがあるように。
無駄から生まれるものは、何かが強くなっていくんじゃないだろうか。

あー、曖昧なはなしだなこれ。
心は、「無駄なこと」の中で、何かを育くんでいけるのじゃないかという話。
だから無駄な時間だと思うなよ、自分。という話。